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汚いわけじゃないです。むしろきれいです。川とそこにかかる橋の有名なモスタルという町に来ました。

ボスニア・ヘルツェゴヴィナは北のボスニアと南のヘルツェゴヴィナが合わさったもので、ここモスタルはヘルツェゴヴィナの中心地らしいです。紛争当時は激戦区で、当時のビデオを流してるとこがあったのですが、ほんとに何もなくなってました。町には当時崩れた建物が多く残っていました。橋も崩れ、今はトルコの協力で元に戻っています。

なんでこの橋が有名なのかというと、オスマントルコ時代につくられ、トルコ建築の素晴らしいものだかららしいです。

宿はHostelWorldで予約してたのですが、駅に着くとオーナーのミランさん自ら迎えに来てくれていました。なんて素晴らしいサービス!!感動してると到着。

Sobeじゃんw

Sobe とは、民宿みたいなもので、住んでる家の一部を旅行者に貸し出してる宿。HOSTELって名前ではあるけど、完全、ちょっと広めのミランさんの家でしたwしかし、ミランさんめっちゃいい人。奥さんは妊娠中であと10日で生まれるという。でも働いてる。心配です。夜には彼の客引き腕の良さか、3人に増えてました。


モスタル、すごく小さな町。今や観光地に戻っていて、団体客も多い。道せまいから邪魔w

モスクがたくさんあるのですが、一つのモスクはミナレット(モスクについてる高い塔。ここから毎日5回お祈りの放送が流れる)にのぼれるんです。エジプトからたくさんのミナレットを見てきたけど、登るの初めて。たまたま一緒だったトルコ人ジャーナリストも初めてって言ってました。

ここ、一番のお気に入りスポットになった。めっちゃ景色奇麗!!ぼーっと眺めてました。川も、橋も、街も、誰にも邪魔されずにゆっくり見れる。いいなぁ。20分くらいいたかな。大満足でした。

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橋をわたって、しばらく歩いてピザ食べました。ボスニアからずっと食べたかったピザ。頼むと、案の定ホールです。いやー食べきれるかな…(イタリア旅行の時のよりは小さかった!)

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食べきった!!いやーいけるもんですねw

大食い話題が出たとこで、もうひとネタ。ブルガリアはソフィアで、日本人5人で中華を食べに行った時のこと。適当に頼んでたら、大変なことに。

炒め物4皿(見た目同じ、味がちょっとずつ違う)、酢豚、ギョーザ2皿、チャーハン、御飯3つ、パン2つ。
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近くのブルガリア人4人組はおかず3皿のみ。そんなもんでよかったね。
でも、大和魂魅せました!!女子2人もかなり貢献。きっとみんな同じくらい食べた。

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パンと酢豚のみ残して完食。いやーほんと、ひっさしぶりに苦しいくらい食べたわ。


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モスタルでした。
大きな教会が見えたので行ってみることに。けど、閉まってた。裏に回ろうとすると、マレーシア出身カナダ育ちのお兄さんがこっちも閉まってると教えてくれました。諦めて帰ろうとすると、一つのドアが開いてた。中に入るとあと10分で開くっぽいので彼と待つことに。

10分後、神父さんが来て、彼と英語で流暢に話す。どうやら入れないっぽい。。。彼がどうしても見たいというと、

神父さん「カトリック?」

彼「Yes」

神父さんと目が合ってしまった。
私「Sorry…No.」

別に悪くないのに誤ってしまう日本人。でも、彼がいてくれたおかげで中に入れまいした。

広いけど、さっぱりした教会。ステンドグラスは一部のみ残る。そうか、ここも崩れて、修復されたんだな。

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隣の橋に行って写真撮り、帰りました。途中雨が。やばい、ベランダに洗濯物干してあるのに!!!走って戻ると、奥さんが取り込んどいてくれてた。いい人だぁ。




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Don’t Forget.
93年に大被害にあったモスタル。お墓も93年のものが多数でした。戦争は繰り返さないために忘れちゃいけないんですね。書いてあるとこ2か所みました。

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ボスニア・ヘルツェゴビナに入りました。より、紛争の印象の強い町です。

今はもう安定していて、観光客も多いですが、実際、街にはボロボロの建物があり、今も使われている建物にも弾痕が残ってます。
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砲弾で外壁以外、本もほぼ全て焼失した国立図書館。修復には少なくとも3年はかかるそうです。

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1992-95年、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争。もともと、セルビア人、クロアチア人、ムスリム人が、仲良く暮らしていた国。民族関係なく結婚も行われてた平和な国。が、ユーゴ解体の影響で独立を求めるクロアチア人、ムスリム人、ユーゴ残留を求めるセルビア人。民族同士の争いは、親戚、ご近所同士も敵になります。こんな悲しいことないです。てか、親戚を民族が違うから今日から敵!!て、思えないですよね、普通。でも、普通が普通でなかったこのころ、20万人の犠牲者が出たのです。


ここにきて、初めて知ったことの一つ。1984年、私の生まれた年はサラエボオリンピック開催の年。オリンピック会場を見に行きました。

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今でも、このマークのお土産が売ってる。

メインスタジアムは修復され、少し前、U2のライブなんかもあって大盛り上がりだったとか。

ここは、当時の補助グラウンド。写真を撮るか、すごく迷ったのですが、このブログを読んで、平和について考える人が増えたら、と思い、シャッターを切りました。

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白いの、お墓です。

当時、亡くなった人を埋める場所がなくなり、オリンピックの補助グラウンドも墓地になりました。攻撃の少ない朝方と夕方に運んだそうです。
墓地には行ってみると、ほんとに、新しいお墓が多いことに気付きます。一応分けられてはいますが、イスラム教、キリスト教どっちもあります。(白いお墓はイスラム)そして、その新しいお墓のほとんどが92年から95年に亡くなった方。墓石には生まれ年と亡くなった年がかいてあります。

1981-1993

1983-1992


私と同年代の子のお墓もありました。これを見た時はショックでした。この紛争が、ほんとに最近だったこと、私の年代にも深く関わっていたこと。生まれた場所が、民族が違っただけで、全く違う人生になってたこと。自分はなんて幸せなんだろう、生きていることに感謝すべきだ、ということを深く感じました。


帰りにサンドイッチ屋で女の子と話しました。9歳のイヴァナちゃん。人懐っこくて、かわいくて、いいねと褒めたストラップを会って5分の私にくれました。この子は紛争時を知らないんだなぁ。ほんとに無邪気で、がんばって英語を話してくれて、、、この子のためにも、世界は平和にならないとな。今まで、なんとなく祈ってたけど、これからは教会、モスク、神社、寺にいったら、本気で世界平和を祈れる、祈ろうと思った。実際、このあと教会にも行きました。信者じゃないから意味ないのかもしれないけど。

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地下トンネルも見に行きました。サラエボがセルビア人軍に包囲された時、食糧や武器を運んびました。

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入口のある家が博物館になってる。一見普通の民家

英語ガイドだったので、あまり説明を理解できなかったのが非常に残念でしたが、ある人の質問が印象的でした。今は、セルビア人とムスリム、クロアチア人は地域を分けて住み分けてます。

ツアー客「今後、民族ごとに独立すると思いますか?」
ガイド「nothing」

(これ一言ではなかったのですが後の言葉の解釈から)何も起こらないよ、と言った彼。まだ20代と見える。何も起こらない、何も起こらないでほしい、平和を強く願うことばだな、と感じました。戦争のとき、どう過ごしてたの?聞きたかったけど、聞いちゃいけない気がして聞けなかった。英語力の問題もあるけど。



サラエボに来てよかった。私が考えたように、このブログを読んで、少しでも平和について考えてくれたらうれしいです。


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第一次世界大戦のきっかけとなった、サラエボ事件の橋。

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旧市街バシチャルシァはお土産屋やカフェが並ぶかわいいところ。観光客で賑わう。


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公園で特大チェスをするおじさんたち。誰がプレイヤーかわかりずらい。そして、観客の口出しがうるさいw


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