上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
s-IMG_4444.jpg


らしいです。クラクフ。確かに旧市街にはお城や大きい教会があって可愛かった。正直な感想は…似てる、よくある感じ。ひどい観光客ですね。

てことで、岩塩採掘所にいってみました。

地下深くで塩をとってた跡にはいります。ガイドと一緒に入らなきゃいけないんですが、、英語とポーランド語で500円ほどの差が。ポーランド語にしましたwだって、英語でも対して分かんないんだもん。英語の進歩が少なく(ちょっとは成長しましたが)、残念です。

s-IMG_4522.jpg

地下何百M を階段で降りる。だんだん寒くなる、

説明は全くわからないので、見て楽しむ。

s-IMG_4531.jpg
なぜ小人??

なかには教会が。レストランもあったり、もはやどこに来たのかわからなくなってきた。

s-IMG_4535.jpg

そんな、微妙なかんじでした。説明がわかったら違ったのかなー。
鉱山にはいるなら、ボリビアのポトシが一押しです。働いてる姿が直に見れます。

お城からの眺め、虹久しぶりにみた♪
s-IMG_4561.jpg
スポンサーサイト
ポーランドのドイツとの国境近くの町、クラクフ。広いポーランドでここだけにわざわざ寄ったのは、言うまでもなく、、、アウシュビッツを見るため。

この旅を出発する時にはいくかどうか迷ってた場所。でも、ハンガリーのことを調べてたら、行かなきゃいけないって思った。人間のしたことを認めなきゃって。

一人でちゃんと見れるか不安だったけど、日曜ってのもあり観光客たくさん、しかもブダペストで一緒だったニシオさんとバス停でまさかの再会。一緒に回ることに。

2日前、ブダペストで「シンドラーのリスト」を初めて観た。前々から母親がかわいそう過ぎて見れない。と言っていたので、私もみる気にはなれなかった。けど、見てよかった。勝手な妄想でシンドラーは悪いやつで、バンバンユダヤ人を殺して行くんだ。と思ってたけど、逆でした。ほんと無知でした。よくよく考えれば、収容された人たちを救おうとする人もいておかしくない。でも、そういう人たちがいたってことが、嬉しかった。この状況でまともに考えれた人間もいたこと、人間も捨てたもんじゃないじゃんって。

第一アウシュビッツと、第二アウシュビッツ(ビルケナウ)両方見に行きました。

s-IMG_4463.jpg
第一アウシュビッツのゲート。「働けば自由になる」Bが逆さまなのは、収容者のせめてもの反抗だとか。

s-IMG_4466_20090702235559.jpg
収容所のまわりはこの二重の高圧電流の通った鎖で囲われていたのでした。辛さから自ら触りに行く人もいたという。。


写真でも、映画でも何度も見たゲート、線路、煉瓦造りの小屋。
実際見てみると、当たり前だけど、カラーだった。
白黒ってのは、昔をイメージさせる。私の生きてきた時代は初めからカラーテレビだったし、写真もカラーが普及してた。だから、実際カラーで見ると、それが現実だったことを改めて思い知る。ここで、何人もの人が、人としてみなされずに、少ない食料だけで働かされ、働けない人は即ガス室へ。

展示は、よりショックを受けた。没収したカバンや、靴、義足など、、知っていたけど、実際見ると衝撃は違う。とくにショックだったのは髪の毛。ショーケース2面分にわたる大量の髪。布を作るために売られていたが、ガス室に送るようになってチトロンB(気化させて使われていた)の残留物が髪に残ってることがわかり、それからは売れなくなったという。それが、この髪かは分からないけど、、多すぎる。人からとれる髪の量なんてたかが知れてるのに。。思った以上の相当の人数が収容されていたことを知った。


写真は見るのも辛いものが多かったが、一番怖いのは見てるうちに慣れていく自分だった。管理してたSSも、収容者を簡単な理由で殺すのが正当化されていたころ、徐々に慣れていってしまっていたんだろう。



たくさんの人に訪れてもらえるように、ここは入場無料になっている。いいことだと思った。人間はこんなことまでできてしまうんだ、その事実を知り、二度とこんなことが起こらないように。


Wikipediaで読んで感動した一文を載せます。最後は体力ではなくて、精神力です。

************

生命を最後まで維持させた人々の特性は次の3種類に分類された。

第1の分類には、過酷な環境にあっても「愛」を実践した人々が属した。アウシュヴィッツの全員が飢えに苦しんでいる環境で、自分の乏しい食料を病人のために与えることを躊躇しないような人類愛に生きた人々が最後まで生存した。

第2の分類には、絶望的な環境にあっても「美」を意識できた人々が属した。鉄格子の窓から見る若葉の芽生えや、軒を伝わる雨だれや、落葉の動きなどを美しいと感じる心を残していた人々が最後まで生存した。

第3の分類には「夢」を捨てない人々が属した。戦争が終結したならばベルリンの目抜き通りにベーカリーを再開してドイツで一番に旨いパンを売ってやろう、この収容所を出られたならばカーネギーホールの舞台でショパンを演奏して観客の拍手を浴びたい、などの夢を抱くことができた人々が最後まで生存した。

佐久間章行著『人類の滅亡と文明の崩壊の回避』p.218-219からの引用

****************

私たちが訪れた日はとてもいい天気だった。こんなきれいな青空を収容者たちはどう感じていたんだろう。

s-IMG_4520.jpg
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。